機雷はキライ!

わたしがいま勤めている会社は、給与がものすごく低水準だ。
それに見合うぬるい社風だから表立った不満もないのだけれど、10年前のリーマンショックを言い訳に、未だにボーナスもまともに無い状態。

大学の優秀な友人たちが所謂一流企業で入社数年目には年収800万円を叩き出したのを風の噂で聞き流しながら、未だ300万円台をうろついている。

学生の時「仕事なんてしたくないしー、(当時の)彼と結婚したら専業主婦になりたいし!」などとゆとり世代でももう少しまともに考えるであろう愚かな思考を一貫し、ただでさえあがり症なのに何も準備しないまま迎えた就職活動では、そんなわたしの浅はかさを見抜いた面接官にことごとく落とされ続けた。

偶然筆記試験を通過した某一流商社では、面接で面接官からの「今まで挫折したことはありますか?」の質問に笑顔で無かった旨の返答をすると、面接官は苦虫を前歯で噛み切ったような、心の底から侮蔑したような、哀れみのような表情と唸るような低い声で「でしょうねぇ」と返され、流石に逡巡して帰りのフレッシュネスバーガーでさめざめと泣いたこともあった。

宗教がかった某アパレルメーカーの面接では、「高齢の女性」を「年寄り」と発言して落とされた。
ラジカセの軽快なBGMとともに社員の男女数名がスキップをしながら入室してきた会社説明会は未だによく覚えている。

周りが一流企業に就職先を決める中、未だに就く宛の無かったわたしは親のコネという手段を使ってようやく地元の企業への就職を決めた。
この時の面接後、友人と和民で会った瞬間、サイズの大き過ぎるスーツ姿のわたしを見て膝が揺れるほど笑われた。


また、優秀な大学の友人のうちの1人は、就職が決まった当時ミクシィ(当時の流行最先端SNS)に、就職先である某一流地所名と「インプットを増やしてアウトプットできるようになりたい」「自分の欠点はリスクヘッジができないところ」との自己分析を書き連ねており、彼がこの4年で蓄積したであろう経験や語彙力と比較した自分の大学生活の密度の薄さに悲しくなった。


そうして迎えた入社式。周りが社会人としての意気込みをチラつかせ、副社長による仰々しい祝辞がとうとうと語られる中、気楽な一人暮らしを辞め実家に戻ることとまだ学生の彼と会いにくくなるという安っぽい不安にかられたわたしはひとり目に一杯の涙を貯めていた。
そんなわたしを見た同期たちからは一番はじめに辞めそうと揶揄されたが、それなりに仕事が楽しくなり同期女性で唯一係長になり(単純にみんな辞めるか出産して休みに入ったから)、気付けばこれまで10年近く仕事を続けている。

入社時、交通費支給に必要な書類に自宅から最寄駅までの地図を書く際、線路上に電車のイラストを描き加えて上司に泣くほど怒られたのも今となっては淡い思い出。



ちなみに、入社式に涙ぐんでまで憂慮していた当時の彼との関係は、わたしが入社一年目のとき、彼と韓国人女性との不貞が発覚したので彼の自慢の顔と親に買ってもらったらしきアンドゥメステールのレザージャケットに水をかけてあっけなく終わった。


お仕事がんばります。

かばこ