PS4万歳!
尼神インターが最近好きでよく動画をみてるんだけど誠子ちゃんの行動に既視感があって、先日ふと「わたし酔ったとき誠子ちゃん似てない?」と軽くきいたら、「うん。かなり。そういうときほんとうざい。」って真剣に言われました。
特に似てるのが、デートの予行演習コントの「生ビール2つお願いします。はーい、ありがとございまーしゅ。グフフ。」のところだって。うーわー。
尼神インター 傑作漫才まとめ 『デートの練習』 『友達のお姉ちゃん』 『彼氏欲しい』 - YouTube
GOTYを獲得したポーランドのゲーム、ウィッチャー3のDLC『血塗られた美酒』を先日クリア。
追加されたトゥサンは明る過ぎるので、ノヴィグラドやヴェレンのほうが好みだけど、本当にそこを歩いてるかのような気持ちになれる。
そして、民衆の描写がものすごい。東欧の陰鬱とした雰囲気に溢れている。
チェコに旅行に行ったときも思ったけど、東欧って国自体が暗い気がする。それは日本人には分かり得ない、脈々と受け継がれた侵略、抑圧を巡る歴史がそうさせるのだろう。
日本人が作るゲームが描く西洋というものは、どこか明るくて抜けている。だって想像でしかないんだもん!
日本の貧しい民衆による戦争を描いたゲームなんて『いっき』ぐらいだ。
美しい風景と、それが当たり前で改めて感動することもなくどこか生きることを諦めた風のある民衆。不衛生で、物騒な街中。それが東欧の日常だったのだ。
その中で、自分を被害者として慰め続け常に何かに怒り続ける人、現状を打開しようと行動し失敗する人、それぞれの想いや言動が、そこかしこにドロップしている手紙にしたためられている。
(同じく抑圧されたであろう東南アジアの国々は、個人的には明るい訳ではなくある一線までで深く考えることを辞めたイメージ。暑いから?)
因みにアメリカのゲームも、『GTA』や『THE LAST OF US』みたいに基本、俺様ヒーローかゾンビゲー。ラスアスなんて、退廃した町に散見されるあれこれが自国に対する自信に満ち溢れている。
あーでもラストオブアス、ほんとに映画を観ているみたいだった。ヘンリーが一番よかった。
I swear.
OK.
で終わらせる思い切りの良さ!
メリケンかっこいいー!!
2も開発中のようなので、今から楽しみ。
昔は白人より黒人より手先の器用な黄色人種が一番繊細で賢い!と盲信していたけど、FF15(の体験版)をプレイして、日本人は幼いんだなぁと痛感しました。
かばこ
情熱と執着の間
デパートでアイシャドウを買いました。
久しぶりだ!
8年ほど前までコスメが大好きだった。
高校生の頃から、暇な時間さえあれば@コスメやVOCE、まとめサイトを読み耽り、さらに大学生になると当時大流行で発売と同時に売切れ必至というディオールのコフレが京都の髙島屋に多めに入荷されるらしいという不確かな情報を信頼できる筋(インターネット)から仕入れ、終電で神戸を発ち深夜12時を過ぎた頃から京都髙島屋に先頭で並び、5時間後くらいにようやく後ろに並んだ見知らぬお姉さんと仲良くなり、整理券をもらった後ホリーズカフェで開店まで待機するという間違った一途さに溢れた自分に大変満足していた。
社会人になってもそれは終わらず、新作アイシャドウがあれば予約開始日も発売日も昼休みに会社を抜け出しデパートの化粧品売場に。
(情熱の割には単価が低く、外商でもお得意様でもなかったので取り置きなどしてくれなかった。)
一度、シャネルの限定ネイルが近場から売切れており、他にも近隣に複数店舗あったにも関わらず、何故か東京の西武百貨店に電話で注文するという今の自分には理解できない行動をとったこともある。
しかさそんなある日、「コスメマニアは大体ブス」という至言を目にし、わたしの中のコスメブームは突如終わりを告げた。
だけどそれから数年経った先日、ふと業務用Twitterの画面に流れて来たコスメマニアのツイート『すごいデカ目効果!』にまんまとつられ、冒頭のアイシャドウ、買ってしまった。
ステマは今も生きているのだと実感。
これです。外国人みたいな彫りの目元になるらしいよ!
こだわり過ぎるのは所謂マニア・オタクの悪癖なのだと思い自分は違うからと、ここ数年は就職活動という人生の局面含め色んなことにのめり込まず中途半端な気持ちで接してきたけど、
この間まではまっていたゲーム、ディスオナードのエミリーの声優が三橋加奈子だと思うんだけど発表されてないしなぁとモヤモヤしてしまうあたりが結局治ってないなと痛感したお正月。
かばこ
はじめましてそしてあけましておめでとう
せっかくなので思いの丈をぶつける場所を作ってみましたー
ノロノロ書いていこう。
先日より、Dishonored2ていうめちゃんこ面白いゲームをプレイしています。
1のが好きだけどね。
冤罪なんだけど女王殺しの不名誉(Dishonor)を塗りたくられた女王護衛官である主人公コルヴォが、隠密活動を通して汚名返上すべく奮闘するお話。
2では、コルヴォの娘であり女王となったエミリーが主人公。
衛兵や魔女を暗殺したり気絶させて進むステルスゲームです。
他にも、中世イギリスがモデルなので、洋ゲーよろしくウィーパーという名のペストらしきウィルス感染者が血の涙を流しながら徘徊し、主人公に襲いかかってきます。
ギリギリ生きてるけどゾンビみたいなものです。
そこで、着目しました。
ゾンビというものに。
ゾンビとは、作品によって多少違いはあれど、自我のないまま生き返った死者のこと。
ファンタジーなどではウィルスが原因であることが多く、生者に襲いかかり、主にタカが外れた顎力での噛みつきで彼等を喰い殺しゾンビウィルスを感染させ、ゾンビ仲間を増やします。
死者なのでボロボロの身体で不明瞭な言葉を発しながらこちらに向かってくる姿は恐怖そのもの。
幼い頃、バタリアン(オバタリアンの元ネタ)をうっかり観てしまい、眠れなくなった幼子も多いはず!
なのですが、そもそも、なぜ我々はゾンビに恐怖心を抱くのか。
ゾンビって、だいたいが人型なのは勿論、動物だと犬がメインです。もしくは見たことない新生物。
猫とかライオン、カバとか象とかのゾンビってあまり見かけません。(強化人間は除外!あれゾンビじゃない。)
そういうことなのです。
人間や犬は、本来、こちらの思いが通じたり助け合ったり、信頼関係を築ける存在なのです。
少なくとも自分を襲う存在ではない(と我々は思い込んでいる)。
そんなはずの彼らが、ドロドロになった姿だけで充分恐怖なのに、一心不乱に襲いかかってくる。
え?なんでドロドロなん?え?生きてんの?まじで?てかこっち来てるやん!なんで?なんで?ちょ待って怖!ほんま怖!!
そこが人間の理解を超えた恐怖を生み出すのではないかと考えたのです。
猫やライオンは気まぐれで、そもそも人語がわかるとは思えない。緊急時助けてもくれない、そもそもが野性なのです。
ゾンビになったって凶暴性が増したなーグロいなーぐらいのものです。
一時期流行ったパニック漫画も、平穏な日常が突如として終わるとかいうモノローグが常なように、安心できるはずの存在が突然自分の生を脅かす、そこに恐怖を感じる。
理解できない、それが人間にとって恐ろしいのです。
生態を理解・共有し、いい加減見慣れたら、あーまたいるわ逃げよう、ぐらいに生活に馴染むのではないでしょうか。
ゲームでもそうです。恐怖より対処方法に意識を払うようになります。
ひいては妖怪やお化けも同じなのかなと考えて、それらをポップな存在に昇華、浸透させた水木しげる氏への敬意を表し、ひとつめのブログを終了いたします。
かばこ
Dishonored 2 【CEROレーティング「Z」】 - PS4
- 出版社/メーカー: ベセスダ・ソフトワークス
- 発売日: 2016/12/08
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