大人スイッチ

4つ年下の妹が、近頃は車を運転していることを知った。

 

わたしの妹は、おませで、モー娘。のオーディションに応募するほど目立ちだがりやで、4つも年上の姉のわたしへの対抗心が強く、そのくせ中身は勉強不足で口だけが達者な、ネットの情報を鵜呑みにする、あくまで、妹だったのに、

いつのまにか子供を産んで、子どもを幼稚園に通わせ、ネイティブが経営する英会話教室ネイティヴな発音を覚えさせ、自分で作った雑貨のネット販売で財を成し、夫や子どものためにご飯を作り、そして車を運転している。

わたしは、22歳で普通自動車免許を取って以来、ペーパードライバー。

 

15年前、母親からの、「今日は寒い、を英語で言うと?」の問いに、自信満々に「イッツ コールディートゥデー」とのたまっていた、妹が。

10年前、仕事が辛くて泣いていたわたしに、「23にもなって仕事舐めるなよ!」と説教を垂れてきた、アルバイトをもれなく異性問題が発端の人間関係で辞職していた、妹が。

 

わたしの妹は、どこかでいなくなったのだろうか。

どこかで、大人になるスイッチでも入ったのだろうか。

それとも、人生の延長線上で大人になっただけで、妹は今もそこにいるのだろうか。

 

 

どちらにしても、わたしはずっと22歳のままだ。

ジャクソン5

わたしは音痴だ。

 

妹は比較的歌が上手いし、父も聴いたことは無いが下手ではないようだし、母に至っては即興でハモりを入れられるほど音楽的センスに恵まれており、血統的には、歌が上手なはずなのに、わたしだけ、壊滅的な音程の取り方。

 

忘れもしない、小学校4年生の歌のテスト(ふるさと)では、わたしの音痴ぶりを聞きつけた数名のクラスメイトが、本来、先生と一対一のテストの場に、わたしの出番にだけ駆け付けたほど。

 

これには、思い当たる原因がある。

小学校1年生のころ、大好きなドラゴンボールのOPを、テレビの前で大きな声で曲に合わせて気持ちよく歌っていたところ、丁度、アタマ空っぽの辺りで、横で夕食の準備をしていた母から「あんた音痴ねぇ」と言われたこと。

 

意味がわからず、音痴って?と訊きかえすと、歌がものすごく下手なことだ、と身も蓋もない回答。

幼心にものすごくショックで、以来、人前で声を出して歌うことをやめた。

 

本来、声に出して歌うことで育つはずの歌唱力は、成長をやめ、わたしは音痴なままになってしまった。と思っている。

 

それからは、音楽の授業では口パクを貫き、あくまで喉を鳴らさず呼気だけで歌い、息継ぎも忘れないという姑息な手法だけが磨かれていった。

高校のコーラス大会では、指揮に立候補したクラスメイトが、他のクラスメイトからの密告のもと、わたしが発声しているかを確認するために周囲を虎のようにグルグル回り続けたりもした。

 

それでも頑なに人前で歌うことはせず、大学生になってもタンバリンかDA PUMPのKENに徹し、音をとって歌うことを避け続けた。(ラップにも音程が必要なことは最近知った。)

社交上、歌うことが避けられなくなった社会人になってからは、酔うことを覚えて、アルコールのせいの音痴を演じる日々。

 

ただ、1人の時はものすごく歌う。アニソンをすごく歌う。

この間、マンションのエレベーター内で聖闘士星矢をやや大きな声(効果音付き)で歌っていたら、エレベーターを降りたところでまさかの住人と出くわしてしまった。

恥ずかしかったけれど、でも歌うことはやめない。

 

そんなわたしの唯一の自慢は、絶対音感があることだ。

 

 

かばこ

 

 

機雷はキライ!

わたしがいま勤めている会社は、給与がものすごく低水準だ。
それに見合うぬるい社風だから表立った不満もないのだけれど、10年前のリーマンショックを言い訳に、未だにボーナスもまともに無い状態。

大学の優秀な友人たちが所謂一流企業で入社数年目には年収800万円を叩き出したのを風の噂で聞き流しながら、未だ300万円台をうろついている。

学生の時「仕事なんてしたくないしー、(当時の)彼と結婚したら専業主婦になりたいし!」などとゆとり世代でももう少しまともに考えるであろう愚かな思考を一貫し、ただでさえあがり症なのに何も準備しないまま迎えた就職活動では、そんなわたしの浅はかさを見抜いた面接官にことごとく落とされ続けた。

偶然筆記試験を通過した某一流商社では、面接で面接官からの「今まで挫折したことはありますか?」の質問に笑顔で無かった旨の返答をすると、面接官は苦虫を前歯で噛み切ったような、心の底から侮蔑したような、哀れみのような表情と唸るような低い声で「でしょうねぇ」と返され、流石に逡巡して帰りのフレッシュネスバーガーでさめざめと泣いたこともあった。

宗教がかった某アパレルメーカーの面接では、「高齢の女性」を「年寄り」と発言して落とされた。
ラジカセの軽快なBGMとともに社員の男女数名がスキップをしながら入室してきた会社説明会は未だによく覚えている。

周りが一流企業に就職先を決める中、未だに就く宛の無かったわたしは親のコネという手段を使ってようやく地元の企業への就職を決めた。
この時の面接後、友人と和民で会った瞬間、サイズの大き過ぎるスーツ姿のわたしを見て膝が揺れるほど笑われた。


また、優秀な大学の友人のうちの1人は、就職が決まった当時ミクシィ(当時の流行最先端SNS)に、就職先である某一流地所名と「インプットを増やしてアウトプットできるようになりたい」「自分の欠点はリスクヘッジができないところ」との自己分析を書き連ねており、彼がこの4年で蓄積したであろう経験や語彙力と比較した自分の大学生活の密度の薄さに悲しくなった。


そうして迎えた入社式。周りが社会人としての意気込みをチラつかせ、副社長による仰々しい祝辞がとうとうと語られる中、気楽な一人暮らしを辞め実家に戻ることとまだ学生の彼と会いにくくなるという安っぽい不安にかられたわたしはひとり目に一杯の涙を貯めていた。
そんなわたしを見た同期たちからは一番はじめに辞めそうと揶揄されたが、それなりに仕事が楽しくなり同期女性で唯一係長になり(単純にみんな辞めるか出産して休みに入ったから)、気付けばこれまで10年近く仕事を続けている。

入社時、交通費支給に必要な書類に自宅から最寄駅までの地図を書く際、線路上に電車のイラストを描き加えて上司に泣くほど怒られたのも今となっては淡い思い出。



ちなみに、入社式に涙ぐんでまで憂慮していた当時の彼との関係は、わたしが入社一年目のとき、彼と韓国人女性との不貞が発覚したので彼の自慢の顔と親に買ってもらったらしきアンドゥメステールのレザージャケットに水をかけてあっけなく終わった。


お仕事がんばります。

かばこ

PS4万歳!

尼神インターが最近好きでよく動画をみてるんだけど誠子ちゃんの行動に既視感があって、先日ふと「わたし酔ったとき誠子ちゃん似てない?」と軽くきいたら、「うん。かなり。そういうときほんとうざい。」って真剣に言われました。
特に似てるのが、デートの予行演習コントの「生ビール2つお願いします。はーい、ありがとございまーしゅ。グフフ。」のところだって。うーわー。


尼神インター 傑作漫才まとめ 『デートの練習』 『友達のお姉ちゃん』 『彼氏欲しい』 - YouTube



GOTYを獲得したポーランドのゲーム、ウィッチャー3のDLC『血塗られた美酒』を先日クリア。

このゲーム、景色が本当に綺麗で大好き。

追加されたトゥサンは明る過ぎるので、ノヴィグラドやヴェレンのほうが好みだけど、本当にそこを歩いてるかのような気持ちになれる。
そして、民衆の描写がものすごい。東欧の陰鬱とした雰囲気に溢れている。


チェコに旅行に行ったときも思ったけど、東欧って国自体が暗い気がする。それは日本人には分かり得ない、脈々と受け継がれた侵略、抑圧を巡る歴史がそうさせるのだろう。

日本人が作るゲームが描く西洋というものは、どこか明るくて抜けている。だって想像でしかないんだもん!
日本の貧しい民衆による戦争を描いたゲームなんて『いっき』ぐらいだ。



美しい風景と、それが当たり前で改めて感動することもなくどこか生きることを諦めた風のある民衆。不衛生で、物騒な街中。それが東欧の日常だったのだ。
その中で、自分を被害者として慰め続け常に何かに怒り続ける人、現状を打開しようと行動し失敗する人、それぞれの想いや言動が、そこかしこにドロップしている手紙にしたためられている。

(同じく抑圧されたであろう東南アジアの国々は、個人的には明るい訳ではなくある一線までで深く考えることを辞めたイメージ。暑いから?)


因みにアメリカのゲームも、『GTA』や『THE LAST OF US』みたいに基本、俺様ヒーローかゾンビゲー。ラスアスなんて、退廃した町に散見されるあれこれが自国に対する自信に満ち溢れている。

あーでもラストオブアス、ほんとに映画を観ているみたいだった。ヘンリーが一番よかった。

I swear.

OK.

で終わらせる思い切りの良さ!
メリケンかっこいいー!!


2も開発中のようなので、今から楽しみ。





昔は白人より黒人より手先の器用な黄色人種が一番繊細で賢い!と盲信していたけど、FF15(の体験版)をプレイして、日本人は幼いんだなぁと痛感しました。


ホスツ

かばこ

情熱と執着の間

デパートでアイシャドウを買いました。

 

久しぶりだ!

 

 

8年ほど前までコスメが大好きだった。

高校生の頃から、暇な時間さえあれば@コスメVOCEまとめサイトを読み耽り、さらに大学生になると当時大流行で発売と同時に売切れ必至というディオールのコフレが京都の髙島屋に多めに入荷されるらしいという不確かな情報を信頼できる筋(インターネット)から仕入れ、終電で神戸を発ち深夜12時を過ぎた頃から京都髙島屋に先頭で並び、5時間後くらいにようやく後ろに並んだ見知らぬお姉さんと仲良くなり、整理券をもらった後ホリーズカフェで開店まで待機するという間違った一途さに溢れた自分に大変満足していた。

 

社会人になってもそれは終わらず、新作アイシャドウがあれば予約開始日も発売日も昼休みに会社を抜け出しデパートの化粧品売場に。

(情熱の割には単価が低く、外商でもお得意様でもなかったので取り置きなどしてくれなかった。)

 

一度、シャネルの限定ネイルが近場から売切れており、他にも近隣に複数店舗あったにも関わらず、何故か東京の西武百貨店に電話で注文するという今の自分には理解できない行動をとったこともある。

 

しかさそんなある日、「コスメマニアは大体ブス」という至言を目にし、わたしの中のコスメブームは突如終わりを告げた。

 

だけどそれから数年経った先日、ふと業務用Twitterの画面に流れて来たコスメマニアのツイート『すごいデカ目効果!』にまんまとつられ、冒頭のアイシャドウ、買ってしまった。

 

ステマは今も生きているのだと実感。

 

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これです。外国人みたいな彫りの目元になるらしいよ!

 

 

こだわり過ぎるのは所謂マニア・オタクの悪癖なのだと思い自分は違うからと、ここ数年は就職活動という人生の局面含め色んなことにのめり込まず中途半端な気持ちで接してきたけど、

この間まではまっていたゲーム、ディスオナードのエミリーの声優が三橋加奈子だと思うんだけど発表されてないしなぁとモヤモヤしてしまうあたりが結局治ってないなと痛感したお正月。

 

 

かばこ