ジャクソン5
わたしは音痴だ。
妹は比較的歌が上手いし、父も聴いたことは無いが下手ではないようだし、母に至っては即興でハモりを入れられるほど音楽的センスに恵まれており、血統的には、歌が上手なはずなのに、わたしだけ、壊滅的な音程の取り方。
忘れもしない、小学校4年生の歌のテスト(ふるさと)では、わたしの音痴ぶりを聞きつけた数名のクラスメイトが、本来、先生と一対一のテストの場に、わたしの出番にだけ駆け付けたほど。
これには、思い当たる原因がある。
小学校1年生のころ、大好きなドラゴンボールのOPを、テレビの前で大きな声で曲に合わせて気持ちよく歌っていたところ、丁度、アタマ空っぽの辺りで、横で夕食の準備をしていた母から「あんた音痴ねぇ」と言われたこと。
意味がわからず、音痴って?と訊きかえすと、歌がものすごく下手なことだ、と身も蓋もない回答。
幼心にものすごくショックで、以来、人前で声を出して歌うことをやめた。
本来、声に出して歌うことで育つはずの歌唱力は、成長をやめ、わたしは音痴なままになってしまった。と思っている。
それからは、音楽の授業では口パクを貫き、あくまで喉を鳴らさず呼気だけで歌い、息継ぎも忘れないという姑息な手法だけが磨かれていった。
高校のコーラス大会では、指揮に立候補したクラスメイトが、他のクラスメイトからの密告のもと、わたしが発声しているかを確認するために周囲を虎のようにグルグル回り続けたりもした。
それでも頑なに人前で歌うことはせず、大学生になってもタンバリンかDA PUMPのKENに徹し、音をとって歌うことを避け続けた。(ラップにも音程が必要なことは最近知った。)
社交上、歌うことが避けられなくなった社会人になってからは、酔うことを覚えて、アルコールのせいの音痴を演じる日々。
ただ、1人の時はものすごく歌う。アニソンをすごく歌う。
この間、マンションのエレベーター内で聖闘士星矢をやや大きな声(効果音付き)で歌っていたら、エレベーターを降りたところでまさかの住人と出くわしてしまった。
恥ずかしかったけれど、でも歌うことはやめない。
そんなわたしの唯一の自慢は、絶対音感があることだ。
かばこ